8461レとは?
このホームページのテーマである8461列車及び8461列車と対をなす8460列車は、
群馬県安中市にある「東邦亜鉛株式会社安中精錬所」で発生した薬品(硫酸)を輸送するための専用貨物列車でした。
8460列車で薬品を運び出し、その際に使用した貨車を8461列車で安中に戻していました。
同じ時間帯に「渋川貨物」があったことから私は単に「安中貨物」と言ってましたが、
「朝の安中貨物」とか「安中臨貨」と言う方が通りが良かったです。
一般に「安中貨物」と言ったときは、多くの人は夕方の5781レの方を想像するでしょう。
液体の硫酸を輸送していたので貨車はタンク車を使用していましたが、
タキ43000やタキ1000等の石油類輸送用のタンク車とは異なる形式(タキ5750とかタキ4000とか)が使われました。
車両の大きさも一回り小さく、色もタキ1000等とは異なり真っ黒でした。
東邦亜鉛の私有貨車は、昭和27年に14両、昭和28年に4両を製造したのが始まりです。
高崎局管内の私有貨車は戦前から古河電気,関東電化渋川工場で保有していましたが、昭和26年まで計7両しかありませんでした。
高崎局管内で大量に私有貨車を保有するようになったのは、東邦亜鉛が初めてだったようです。
安中駅については、以下のような文献がありました。
その駅と切っても切れないのが、東邦亜鉛安中精錬所。
昭和十二年六月、日本亜鉛精錬会社として、操業を始めた。
最初は小さな町工場だったが、四年後の十六年、カドミウムの生産を開始し、戦時中一時ストップしたあと二十三年に再開、
戦後の経済復興と共に急テンポで規模を拡大、そして高度成長期に入ると、カドミウム公害という社会問題を引き起こし、
安中も"公害の町"として一躍クローズアップされた。 |
東邦亜鉛の貨物輸送を抱えているため、安中駅は旅客収入に比べて、貨物収入が多い。
亜鉛鉱石や亜鉛、硫酸などを運ぶために、一日平均九十四両の貨車が出入りする。
全収入の九割は貨物収入で、倉賀野、篭原駅に次いで、高崎鉄道管理職管内では、第三位の成績だ。 |
【駅 上州の鉄道 昭和54年3月1日発行 読売新聞前橋支局】より
硫酸とはどんな液体でしょう?
小学校か中学校の理科で習う名前ですが、国鉄時代の資料を見せてもらうことができたので以下にまとめます。
硫酸とは?
末期の8461列車は倉賀野から安中まで、折り返しの8460列車は安中から倉賀野までの運転でした(下表参照)。
倉賀野以南は他の列車に併結され、列車番号が変わりました(列車指定参照)。
また両者とも高崎操で機関車を交換していました(8461レは8:21に出区して8:26頃、8460レは13:07頃に機関車の交換完了)。
列車番号は変わりますが、貨車は目的地へ向かいます。
末期の貨車の行き先は山形県の水澤化学工業(羽前水沢駅)のみでしたが、
2004年秋までは岐阜県の神岡鉱業(神岡鉱山前駅)、2007年夏までは新潟県のクラレ(中条駅)にも行っていました。
また、定期的に交番検査(交検)を受ける必要もありますが、そのときは熊谷貨物ターミナル(熊谷タ)まで行っていました。
列車番号が8000番台であるからして、この列車は臨時の貨物列車です。
基本的には火・金曜日(平成19年3月までは月・水・金曜日)に運転されていました(高崎操〜倉賀野間は毎日運転)。
しかし、荷がなければ往路または復路のどちらかが単機ということはしばしばですし、
最悪ウヤ(運休)ということもありました。
年末年始・お盆・ゴールデンウィーク等の連休になればウヤはしょっちゅうでした。
しかし、逆に祭日でも運転されることがありました(と言うより祭日にウヤになることの方が少なかった)。
以前は定期列車(5461レ・5460レ)だったのが臨時となって運転回数が減り、更に平成20年3月改正で廃止されました。
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